2022/06/03 14:45
夫婦で営むミカタ。
それぞれ全く違った生き方をしていた二人。
大人になって巡り合い、一緒になりました。
こちらはアヤコ編
アヤコ
担当/畑仕事、収穫、納品、デザイン&写真撮影、お料理
彫刻家で仏師の父と日本画家の母のもとに生まれ
3歳の時に家族で富士山麓に移住。
両親の仕事によく付いて行き
色んな大人に会うのが好きで
子ども時代は歌って踊って絵を描いて
本当にのびのびと過ごしていました。
中学と高校は実家を離れて埼玉県にある自由の森学園へ。
そこでは自主性、可能性、多様性に沢山触れて
思春期は表現することがとにかく楽しかった。
特に中学生時代は自己肯定感をかなり高めてくれたと思います。
根拠のない自信に溢れ、やりたいこともいっぱい。
そんな恵まれた学生生活を送っていた15歳の冬
突然父が逝去し見える世界と価値観は変化しました。
自分の進路は芸術一択
10 代半ばで現代アートや舞踏に出会い、強く興味を惹かれた私。
舞台美術を作り、都内や地方の劇場に赴き
大人たちに混じって一つの作品を共に作っていくことが
とにかく刺激的で大好きでした。
同じ頃ブラジルのサンバにも出会い、長年続けることになります。
私を語る上でサンバを外すことは出来ませんが、ここでは割愛。
東京藝術大学美術学部に入学し、多才な友人たちと切磋琢磨した日々。
20 代はずっと舞台作りや身体表現といった芸術の世界で過ごしていました。
ホンモノに多く触れることで本質こそ大事なんだと
身をもって学んだ私は、アート界隈で生活したいと思っていました。
大学卒業後は銀座のデザインギャラリーで働きながらアート活動を継続。
そんな中、東日本大震災を経験しました。
物事の見え方が変わり、これからは「生活」を創っていくのだと考えるようなったんです。
東京生活に終止符を打とう、西日本に暮らそう。そんな思いを抱え移住計画開始。
移住の手段として見つけた地域おこし協力隊になり
縁もゆかりもない未踏の地、四国、香川県に移住。
行って駄目なら戻ればいい、それくらいの気持ちでの引っ越しでした。
間もなく、同じく地域おこし協力隊で茨城県にいたヨシユキと出会い
この人は生存能力が高い!と感じて生活を共にするため結婚し
西日本に暮らしたいという私に合わせ、彼が香川に来て新規就農しました。
ヨシユキのおかげで家族の食卓はいつもミカタの野菜が並びます。
2016年長男出産、2019年長女出産。
とにかく我が子は愛おしい。
子育てをしていると、初めての経験や感情、喜びにたくさん出会います。
知らなかった自分にも出会う、これはもはや修行だと思う。
いろんな経験を通して人生をより豊かにしてくれる家族の存在は宝です。
食、身体、暮らし、考え方。
生き方こそがもっともクリエイティブなことなんだ。
そう思っています。
食べることは生きること。
生きることは食べること。
ミカタは野菜づくりと同様
食べることも、暮らしも、大切にしています。